春分の日

(フィクションです)

「今日は『春分の日』の振替休日ですね」恵美(めぐみ)はコンピュータ画面に向かいながら、結城(ゆうき)に話し掛けた。
「『春分の日』って昼と夜の長さが一緒なんですよね」結城の返事がないが恵美は話を続けた。
 今日は休日、二人は休日出勤していた。人見(ひとみ)恵美、通常勤務は社長秘書であるが、大企業ではないので総務の仕事も兼務していた。3連休前に給与関係の勤怠情報をコンピュータに入力しなければならなかったが、先週からコンピュータが故障しその入力業務が出来ずにいた。昨日の夜やっと復旧してこの連休中にデータ入力しなければ、給与支給が間に合わない。仕方なく休日出勤していた。
「そうかな。じゃ昨日の暦(こよみ)を見てご覧、日の出と日の入の時間…」結城勝人(かつひと)は口を一文字に閉じて微笑んだ。
「うん?、その笑顔には何か裏があるな…」
結城が口を一文字に瞑って微笑んだ場合、何が悪巧みを考えているか、知識のひけらかしかの何れかである、恵美も最近はその表情だけで分かるようになっていた。
「ちょっと待って下さいね…」恵美は画面の中央にあった勤怠入力のウィンドウを横にずらし、ブラウザを起動させた。キーボートを数回叩き、マウスを少し操作して画面を追った。
「3月20日、那古野市の日の出時間は…午前5時56分、日の入は…午後6時4分…ですね」恵美を画面を見ながら自信なさげに言った。
「ですね。昼が12時間と8分、夜は11時間と52分だね。昼の方が長いね…何故かなー」結城は再び口を一文字にして微笑んだ。
「え?何故?これぐらいは誤差の範囲でしょー」
「16分も誤差があってどうするの、昼の時間、夏至で14時間半ぐらい、冬至で10時間弱だから1ヶ月で1時間弱、16分っていうと1週間以上の誤差になるよ」
「ホントーじゃ何で。あっちょっと待って言っちゃダメ」恵美は右掌を結城に向けて結城の発言を止めた。
「うーん…」恵美は胸の前で腕を組んで考えた。
「腕を組んでも思考回路は高性能にならないよ。」横で結城は茶々を入れる。
 数分間の時が流れた。
「あっ分かった、那古野市を基準に考えてはいけないのでは、日本の標準時間は確か明石市ですね。なるほど那古野市と明石市の時間差が16分って訳ですね。なるほど…今回は簡単ですね。」
「そうだね、『ドタリピ』って言いたいけど、那古野市と明石市の時差は多くて10分ぐらいじゃないかなー。それに時差は経度によるから並行移動するー仮に10分間、日の出が遅かったら日の入も10分遅れるよ、だから昼の長さは変わらない。北海道だろうが沖縄だろうがこの日は昼の長さと夜の長さが一緒なんですねーぇ。」
「えーじゃどうしてー。それと『ドタリピ』ってなんですか?『ドタリピ』って何か凄い響きー」思わず恵美は突っ込んでしまった。(「また話がそれてしまう」恵美は後悔した)
「『ドタリピ』って変な響きだよね『ドタリピ』『ドタリピ』…何度も言うと段々変な言葉に思えてくる。『ドタリピ』…『ドタリピ』」
「もういいです。」恵美が止めた。
「これは昔のテレビのキャッチコピーです。ドンピシャとピントが合うって感じだったカナー。」
「私は変っていうより凄い響きって印象が強いな。言葉って人それぞれ印象が違うでしょ」
「そうだね、だから気を付けないといけない。何気なく、その人にとっては本当に軽い気持ちで言った言葉が受け取る相手は全然違う印象を持つ事がある、簡単な例が、東京の人の『バカ』と大阪の人の『あほ』、那古野では『たわけ』になるのかな?これは住む地方の慣習の違いなのでまだ分かりやすいけど。それでも引越しとかで遠くへ行くと同じ言葉なのに受け取る意味合いが違ってびっくりすることもあるようだね。同じ地域でもその人の育った環境の違いで言葉の意味合いは随分違う場合があるよね。私の知人で『意味不明』って言葉にすごく嫌悪感を持つ人がいます。本当に異常に反応します。トラウマっていうものが言葉にも存在するんでしょうね『言霊』ってこの辺の印象から来たものじゃないのかなー。」やはり話が逸れた。
「やっぱり話逸れました。でも今回はいい方向に逸れたようですね」恵美は安心した。

「でも話を戻しますね」恵美は提案した。
春分の日秋分の日って年によって一日ぐらい前後しますよね、20日だったり21日だったり、あれはその年の暦によって調整しているんですよね。」
「そうだよ、必ずその日が昼と夜の時間が一緒になる日。一緒になるって言う表現は問題があるね、昼と夜の時間の差が一番小さい日が『春分の日』や『秋分の日』である最大数十秒の差はあるみたいだね。でもそれは全国統一だ、というより全世界統一だ。」
「えっ本当ですか?それじゃ北海道でも沖縄でもー北極も南極もー」恵美はそれは言いすぎでしょーと言いたげに結城に詰め寄った。
「そうだよ北極でも南極でも春分の日秋分の日は昼と夜と同じ時間ーだよ。」自信満々に結城は言う。
「あっ高度による誤差はもちろんあるよ。あと、地球の歪みも考慮が必要だね。あくまで地球が真球(しんきゅう)であると仮定した場合の話。春分の日秋分の日は共に赤道の真上に太陽が来る日、赤道上ってあるってことは北極点、南極点とを通る円…経度だね…が夜と昼の境になる。地軸の傾きが約23.5度あるけど、その傾いてる方向を前として。ようするに前傾している状態の時に地球の真横に太陽がある、この時が春分秋分となるわけだ。」
「うん?経度が夜と昼の境?」恵美は分からなくなった。
「小学校の時に授業で習ったでしょー、テニスボールがあります。こちらから光を当てると、丁度半分だけ光が当りあと半分には当らない。」結城は紙に図を書き始めた、ただの丸だ。
「ボールだと印がないから、どこから光を当てても半分だけ、要するに半球分が照らされる。」丸の中心部に串を刺すように斜め左上から右下に線を引く。
「左側に太陽があるときが夏で北半球は昼が長くなるので暑い、右側に太陽があるときが冬…」
「うんうん、それは分かります。」と恵美は大きく頷いた。
「で、この紙に対して垂直方向手前と向こう側に太陽があるときが春分秋分だ。どちらもこの串のところが光の境目になる。」結城は紙を持ち上げて説明した。
「ね。これが球だとして、一定速度で回転させれば、どこの点でも光の当っている時間を影になってる時間は一緒でしょー分かったかなー」
「そうですね、でもちょっと話がそれてるような気がする。それが何故、春分の日なのに昼と夜の時間に差があることの理由になるの?」恵美は突っ込む。
「そうだね、これはあなたが那古野市と明石市の違いだとか言い出したからー」
「じゃ本当の理由は何なの?」

「実は結構有名な話なんだよ、割と皆知ってるんじゃないかなー」
「そうなんですか?私は知りませんよ、考えたら分かる事ですか?」恵美はなおも食い下がる。
「ヒントを言うと分かっちゃうしなー、どうしようかなー。では3日前の暦を見てご覧…」
 結城のヒント聞いて恵美は再び画面に向かった。
「3月17日の暦は日の出…午前5時50分、日の入…午後5時50分。あれ昼と夜と一緒だ、何故?3日前なのー」
「でしょーこの日がまさしく昼と夜と一緒じゃないのか!って突っ込みたくなるでしょー」結城が笑いながら言う。
「じゃ何で17日が春分の日じゃないの?」

「分からないかなー、うん分からないよね、では説明しまーす」と言うと数十秒黙り込んだ。知識データベースから情報の読み込み時間である。
「この誤差の原因は日の出と日の入の定義にあります。日の出は太陽が地平線、あるいは水平線から顔を出した瞬間の時間です。反対に日の入は地平線に完全に沈んだ瞬間です。太陽の直径は角度にして1.2度分あります。360分の1.2です。1日24時間を分に直すと24掛ける60で1,440分です、それを360で割ると4分。4分の1.2倍で4.8分です。この5分弱の誤差が3日間の誤差です。日の出、日の入を太陽の中心で見るか。日の出を出る瞬間なら、日の入を入る瞬間にすれば、こんな誤差はなく春分の日の暦を見れば、その日が昼と夜の長さが同じ日と納得できたのにね。」結城は一気に話した。