「人新世の『資本論』」を読んで

まだ読了に至ってはないがちょっと語ろうと思う。
まず「人新世」という言葉。
これは人類が地球環境を壊し始めた世代という地質学的な分類らしい。
そう人類が地球環境を犯し始めた時代ということだ。
環境破壊が叫ばれて久しいがここ数年の異常気象は顕著だ。
パリ協定やSDG'sなど今現在人類は環境破壊(異常気象)を止めようと手を挙げている。
科学技術で温暖化などの対策と色々講じようとしている。
著者はこれではもう間に合わないとしている。
キーワードは「脱成長」だ。
コモンという公共共通のインフラをつくり無料化する。
要するに電気水道ガスなどを公共化して無料化する。
近年日本でも電気やガスの自由化と言って色んな企業が参入できるようにした。
成果のほどは分からないが欧米では再度公共化する動きも出てきていると聞く。
公共化無料化して最低限の生活を保証して経済活動を衰退させるしかないと述べている。
日本では1970年代の生活水準という。
1970年代は私にとって10歳代だ。
生家は中流いうレベルか。
小学校のころ電話やテレビ来た記憶。
自動車はまだまだ高値だった。小学校の教師が車(もちろん中古)を買って自慢していた記憶がある。
その車はスバル360というそのころの名車だ。
ズボンやセーターの踵や肘にはあて布をして補強していた。
古くて着れなくなったセーターを一度解いて実母が編みなおしていた思い出もある。
セーターを解いたあとの毛糸をキレイに巻く装置(もちろん手動だが)を使って手伝っていた。
懐かしく思い出される。今の私がその時代の環境になっても何とかなる気もする。
でも今の若者はどうだろう。
ケータイもない。インターネットもない。ゲームもない時代だ。
もう仕事は引退の身なので年金で自然と共に生きていくものいいかも知れない。
私にとってはこれ以上の経済発展は必要ない気がする。