【時間】(ショートショート)

時間とは不思議なものだ。人間に与えられたありとあらゆる事象には個々人によって所有する量に差が生じる。貧富の差で色々なものの所有量は変わる。通常人間は地球という有限の空間の中で生活しているがその空間の所有量も住居の大きさなどで差があるといえる。お金持ちが必ずしも大きな住居を所有しているとは限らないがそう思って行動すれば簡単に大きな空間を所有することが可能である。衣服、食事、書籍の量などなど例をあげるまでもなく歴然とした事実だ。何に金を掛けるかはその人の趣味嗜好によるが例えば衣服にお金を掛けたお金持ちとお金持ちでない人とでは衣服の量は当然違う。お金持ちは一年をとおして毎日服を替えても着ない服があるぐらいかもしれないが、片やそうでない人は洗濯している期間に着る服がないということもあるかもしれない。
食事でもそうだ。食べきれないほどの食事を用意して残して捨ててしまうお金持ちがいるだろう、逆に貧しく何も食べるものがないという人もいる。悲しい話ではあるが現実として餓死する人もいるのも事実だ。

しかし時間はどうだろう。あの人はお金持ちだから時間が沢山あるとか、貧乏人だから時間がないという事はない。「そんなことはない、お金持ちは高速で移動できる乗り物に乗って時間を節約できるし、やはり時間にも貧富の差はあるのではないか」と反論する人もいるかもしれない。しかしそれはお金を使って時間を有効利用しているだけであって決して沢山の時間を所持しているわけではない。

未来の話ではない。時々街角で見かける看板だ。その看板は「時間貸」である。
「時間貸」とは一体どういうサービスだろう。どれぐらいの価格で提供させているのだろう。やはり時間単価なのか。その施設に入り「3時間コースお願いします。」という。午後3時に入る。施設のなかにはDVDデッキと大型の液晶ディスプレィがある。3時間となると結構な大作映画を見ることができるが映画を見るだけなら、よくある試写室と同じだ。この施設のサービスは『時間貸』である。午後3時入り、3時間の映画を見て帰ろうとするとまだ3時なのである。つまり3時間分の時間を販売しているわけだ。
どうしても見たい映画があるがそれを見ている時間がない人には画期的なサービスではないか。

他に例えば接待で未明まで、クラブなどをハシゴして二日酔いで営業活動をしているセールスマンが休憩するにはうってつけではないか。朝から5時間でも6時間でも寝られるのである。朝礼だけ済ませて会社を飛び出しこの施設に飛び込む。朝10時に入り6時間の昼寝をする。今までなら午後4時、そろそろ会社に戻らなければいけないがまだ一軒もユーザー訪問していない。このまま帰ると上司から大目玉を食らう事になる。しかしそれがまだ朝10時だ。
価格にもよるがこんなサービスならIT関連企業のリーダークラスの人間なら糸目も付けず金を使うように思えてならないが、そんな話題は全く聞かない。こっそりみんな活用しているのか?それとも桁違いに膨大な価格なのか?はたまた副作用があるのかもしれない。

副作用についてはその『時間貸』のサービスの仕組みが分からないので、正確には分からないが感覚的に、一般的普遍的に一方通行であり誰も止めたり戻したりすることの出来なかった時間の流れを制御するのであるから相当なエネルギーが必要であろう。そのエネルギーが実際の利用者にもダメージを与えるということは十分考えられる。

私の場合はそれほど切羽詰っているわけではない、あと1時間睡眠時間が取れればとか、毎日1時間ぐらい読書する時間を設けたいとか、仕事の忙しい時など残業で遅くなったときにしたかった買物が出来ないので時間を戻したいなどなど、あげれば次々と出てくるのではある。しかしこれは私に限った事ではないであろう、普通に生活していれ最小の差はあれ誰しももう少し時間が欲しいと思っているのではないだろうか?勿論病気などで入院している人は「退屈で仕方ない。時間が有り余ってしょうがない」ってこともあるだろうがあくまで健康に普段の生活を営んでいる人なら時間が足りないを思っているだろう。

好奇心の制御があまり機能していない私は意を決して、その「時間貸し」の看板のある施設を訪れることにした。実際に試す時になって手持ちが足りないなど恥かしい事の無いように、銀行に寄ってある程度の現金を用意した。普段あまり利用しないクレジットカードの有効期限もチェックして持参した。手持ちで出来るだけ高級そうに見えるスーツも用意した。気分は入社試験の面接を受けに行くような気分、イヤもっともっと緊張していたかもしれない。子供のころ遠足の前の日の夜興奮して眠れなかったのを思い出したほどである。

ゆっくりとハンドルを切り「時間貸」の看板の下をくぐった。駐車場はキレイにラインの引かれている。奥のほうのラインは白く、入り口付近は黄色いラインが引かれていた。しかし建物が見つからない。出入り口付近に小さな自動販売機のような精算機があるだけである。ラインを良く見ると白い部分にはこれより『月極契約』とある。黄色い部分は『時間貸』であった。
ようやく私は気がつき愕然とした。「時間貸」とは時間を貸すのではなく、駐車場を時間で貸すだけであった。なんとも紛らわしい表現である。