愛・地球博

来年(2005年)に愛知県で万国博覧会が開催される。
私の記憶では「大阪」「つくば」に続いて日本での開催は3度目。神戸と沖縄は万博ではないよね(多分?)『要調査』

ちょっと検索「大阪」「つくば」&「沖縄」も万博らしい〜(・_*)\ペチ

「大阪」:大阪 1970.03.15-1970.09.13 「人類の進歩と調和」日本初の万博
「沖縄」:沖縄 1975.07.17-1976.01.18 「海−その望ましい未来」
(確か「沖縄海洋博」って名前だったような?)
「つくば」:筑波 1985.03.17-1985.09.16 「人間、居住、環境と科学技術」

もうひとつこんなのもあった〜
大阪(国際園芸博) 1990.04.01-1990.09.30 「花と緑と生活の係わりを捉え 21世紀へ 向けて潤いのある社会の創造を目指す」

※この頃、バブルの関係で各地で博覧会って名前の展示会一杯あったので本当の万博(今は「国際博覧会」って言うみたいσ(^_^)のころ(?!)は万国博覧会って言ってた)がどれなのか分からんネ〜
今も浜名湖で「浜名湖花博」っていうのヤッテルし〜(^_^;)

でσ(^_^)の幼少のころ(確か小学校5年)に「大阪万博」が開催された、家族で行きましたが、とにかく驚いた( ゜_゜;)〜ってのが感想ですね、(小学校5年だしね)、人の多さと外国人の多さに〜(笑)

あまり都会育ちでないσ(^_^)は外国人と見る機会が殆どなくて、確かこの時、本物の黒人を初めて見て「ホントに真っ黒だ〜」って驚いた、と記憶してます。

あと印象は「みどり館」(確か?)『要調査』の映像〜ドーム型のスクリーン(天井全体が)で普通の画像だったと思うけど(3Dとかじゃなくて)すごい迫力で感動した記憶がある。

※みどり館「三和銀行 宇部興産 日本レーヨン 帝人 日立造船 丸善石油・・・」などの共同パビリオンらしい〜 http://www.banpaku1970.jp/ 
しかしこう言うのを見るとインターネットの有用性を改めて感じます。

正式名称『みどり館「アストロラマ」』全天全周映画


あと記憶に残っているのは「コードレス電話」(携帯電話じゃないよ)(笑)

確か「メインステージ」(?)〜太陽の塔があったところ〜の周辺で自由にそのコードレス電話を貸してくれて電話して良いと言うものだったと思う、もちろん機能は今のコードレスフォンと同じだから(多分)、あまり離れてしまうと使えなくなった、コードなしで電話が使えるので酷く感動しました(・_*)\ペチ。今では携帯電話ですから〜d(^-^)ネ!

後日談ですが、この時「日本で最大のコンピュータ」が作成せれ、使用された〜確か日立製だったと思った〜専門的な話になってしまうが、この日本最大のコンピュータのメインメモリーは128KBだったと聞いた(これは小松左京の公演会で聞いた〜今ネットで検索してみたが、さすがにここまで載っているサイトは見つからない)

今σ(^_^)が使っているノートパソコンのメインメモリーは128MBです、数値は同じだけど単位が違うK(キロ)とM(メガ)では1,000倍違うわけです(σ(^_^)のパソコンももう古くなりました〜今では標準で256MBです、512MBが主流です)

ムーアの法則」を当てはめると34年経ってるわけだから、32,768倍で4GBになってないといけないからね。当然今の日本最大のコンピュータのメモリはもっと大きいでしょうね。

この頃はまだメモリに半導体を使わず(今はLSIですが)磁器コアと呼ばれる小さな磁化出来る小さな金属の輪(ドーナツ型)を32×32を並べて(これで1024個=1K)それぞれに2本導線を通して、それの交わる部分で磁化したり、磁化を無くしたりしていました。(その磁化の有無で情報を記録する)

そしてこの磁器コアを何百枚〜何千枚を並べて「メインメモリ」としたわけです。

話がどんどんそれて「つくば万博」に進めない〜次回に続く〜