「記録と思考の非共存理論(?!)」

森博嗣先生の「臨機応答・変問自在」(これは、大学の助教授としての森博嗣先生と生徒からの質問をまとめた本)のなかに

「Q.ワープロばかり使っていて漢字を忘れると悲しくないですか?手紙を書くときはどうするのですか?
★(A.とはなって無い).何かを忘れられるのは、その分、頭を他のことに使えるわけだから嬉しい。[中略]手紙はワープロで書く。稀に手で書くときは、必ずワープロで下書きして、それを見ながら書く。」
と言うやり取りがあった。

実は私も昔、このようなフレーズ、良く使ったものだ(ちょっとニュアンスは違うけど)「記憶に頭を使うのはモッタイナイ〜思考に使ったほう有益だ〜」ってね(勿論そんなに頭使ってるわけじゃない〜全然使ってないって言うほうが正しい)。

この理論が正しいのか、検証してみよう。記憶を司るのは「海馬」という器官で思考関係は「大脳」なので、ちょっと考えると私の理論(以下「記録と思考の非共存理論」にしとこ)は間違いでどれだけ記憶しても、思考に妨げにはならないようである。

しかし、「海馬」は短期的な記憶で、長期間記憶しないといけない事象と記憶する必要の無い事象を振り分けているのが「海馬」の機能のひとつである、と言うようなことを聞いたような気もする。(結局「記憶」する場所は前頭連合野であるようだ。)

実際のところ、まだ解明されていないと言うのが本当のところだと思うが、今のところ「前頭連合野」のあらゆる場所で「記憶」も「思考」も行っているのではないだろうか?そうすると私の「記憶と思考の非共存理論」正しくて、やはり『事象の記憶のために脳を使うのは無駄である。』と今回は結論付け、次回以降での調査報告をお約束して話を終わろう。