【鶴舞は「つるまい」or「つるま」】

人見恵美(ひとみめぐみ)は電車が鶴舞(つるまい)駅に差し掛かったのを確認して立ち上がった。那古野駅からこのJRの普通電車に乗り込んだが、運転手の運転経験が浅いのか電車の整備不良かは分からないが停車と発進時の妙な挙動が気になっていた恵美はすぐに吊り革に掴まった。
 今日の目的地はあの森博嗣の「数奇にして模型」の舞台となった、鶴舞(つるま)公園内にある『那古野市公会堂』である。
 この辺りのJR線は高架になっており、ホームの下が駅舎になっていて、改札や切符の自販機などが設置せれていた。階段を降り改札を抜けて左手に進み細い路地を渡るとすぐ前が「鶴舞公園」だ。公園内に入ると、地下鉄の出入口がありその向こうに公衆トイレがある、その脇に設置された灰皿の横で結城勝人(ゆうきかつひと)はタバコを吸いながら恵美を待っていた。先に気が付いたのは結城であった、タバコをくわえたまま左手を軽く上げた。視線は恵美のほうを向いていない。
 恵美が結城のほうへ向かって小走りに足を進めたのを確認して、結城はタバコの火をもみ消して、公会堂に向かった。昭和初期に作られた建物であり歴史的文化を感じされる外見だ。石の階段が数段あり玄関扉は重厚と言う形容の似合う木製である。
 観音開きの扉が4セットあるが、今は一番右端の扉だけが開けられ、その扉と対になる左側の扉前に立て札があり、「200X年4月7日(木)DBCテレビ局、スニークプレビュー〜コンスタンティン〜開場6:00pm、開映6:30pm」と書かれていた。
「こんなレトロな建物で音響設備はちゃんとしてるのかな…」恵美は公会堂を見上げながら呟いた。
「全然駄目だよ、私の学生時代の友人が那古野市の職員でね、数年前までここの電気主任技術者として勤めていた、その彼が音響設備も管理していたんだけど、昭和初期のホールとしては斬新で残響効果などの調整はしっかりしているらしいけど、オーディオ装置は後から取り付けたPA装置だけだそうだ、今主流のデジタルサラウンドなどと比べると相当見劣りするらしい。音響だから『聞き劣り』かな…」

 映画は洋画には珍しく、怪奇現象がテーマだった。自然科学で証明出来ないものを超常現象と一括りにし、それを怪奇現象という人がいるが、科学で証明出来ないものは世の中にいくらでもある。量子物理学の分野では日常では考えられないものが数多くある、一般的には量子物理はイコール原子や分子など素粒子のミクロの世界の話で現世と混同することは間違いだという人がいるが、実際に量子理論はマクロの世界でも通用するものである。例えば人間がコンクリートの壁を通り抜けることが量子力学で計算上ありえることも証明されている。もちろん確率は途方もなくゼロに近い数値であるのだが…。
 人は自分の理解を超えることを非常識と認識し、それを良くないことと考える傾向にある。この例は極端だが、一般常識として成立っている事象も必ずしも絶対でないということを認識し理解すべきである。対人関係において自分の理解を超える言動などを他人が行なうと、それに嫌悪を覚えその人の印象を悪くする時がある。その傾向が強い人弱い人はいるが、人間の思考は文字通り千差万別であり同じ思考の人など在り得ない。常に万人がその認識を意識して生活すれば、世の中もう少し平和になるのではないだろうか。

 公会堂のエントランス部分は薄暗かった。4階まで吹き抜け構造であり照明設備は天井から、ぶら提げられた水銀灯と思われるものだけである。結城と恵美は人の流れに乗り出口まで辿り付き、そのまま駅まで流れていった。
「面白かったね」先に切り出したのは結城だった。
「うん、面白かった。ちょっと気持ち悪かったけどね。」恵美の返事に、結城はすぐ切り返す「あれ、好きじゃなかった?オカルト物」
「うん、好きだけど気持ち悪いものは気持ち悪い…」
「なるほど気持ち悪いのが好きなんだ…自虐的嗜好?M?」結城は恵美の顔を覗き少し笑いながら言った。
「パシッ」恵美の掌が結城の頬に命中した。
「やっぱりSだよな…」

「ところでこの駅の名前『つるまい』ですよね、公園は確か『つるまこうえん』…どっちが本当なの」恵美は突然話を変えた。
「うーん、そうだね。確かに変だね、名前付けるときに地元人に聞けばよかったのにね」結城もよく知らない。
「あっすみません。この辺りの方ですか?」恵美は結城の返事を聞いてすぐに近くにいた背中の曲がった年配の女性に声を掛けた。
「行動が早いな…」結城は一人呟いた。
「えっ?何」耳に手をあてるようなしぐさをして彼女は聞き返した。
「えーっと、この辺りにお住まいの方ですか?」恵美は右掌をメガホン代わりにして再度聞いた。
「うん、もう八十年ここに住んどる」彼女は答えた。
「変な質問ですが、この駅の名前は『つるまい』なのに、何で公園は『つるま』って言うんですか?ご存知ないですか?」恵美は一語一語ゆっくりと話した。
「さぁー知らんね…、いつの間にかこうなっていたでよー」
「おばあちゃんは何て言ってますか?この辺りのこと」恵美は質問を変えてみた。
「えっ何のこときゃーの」
「うーん、あっそうそうこの駅の名前とあの公園は何て言いますか?つるまい、それともつるま、ですか」恵美はなかなか話が通じないので多少イライラしてきた。
「ほいほい、そのこときゃなもー前にも聞かれたでよ。この辺りはよ、昔から、つるみゃあって呼ばれとるでよ。『つるみゃあ』だ『つるまい』でも『つるま』でもなく『つるみゃあ』がせーきゃーだなもし」彼女は顔を皺だらけにして嬉しそうに言い去っていった。